「自民党命!」
若いころから、私の口癖はそれだった。父も祖父も、自民党支持者だったし、家では毎日産経新聞が配達され、夜はBSフジの『プライムニュース』が流れていた。気がつけば、私の価値観も自然とその流れをなぞっていた。
「野党なんて反対しか言わない。政権担当能力なんてないんだからさ」 「自民党は安定してる。経済も外交も安心して任せられる」
それが私の信念だったし、誇りでもあった。
ところが、そんな私の“信仰”は、ある出来事をきっかけに揺らぎ始めた。
三年前、母が倒れた。脳梗塞だった。幸い一命は取り留めたものの、半身麻痺が残り、介護が必要になった。私は会社を辞め、介護に専念することにした。これまで「介護保険が充実してるから大丈夫」だと思っていた。でも、現実は違った。
デイサービスの枠は常にいっぱい。訪問介護のヘルパーは人手不足で、週に数回しか来られない。自宅で介護をするには制度もサポートも圧倒的に足りなかった。
「自己責任?……これも自己責任なのか?」
自民党の掲げる“自助・共助・公助”という言葉が頭に浮かび、なんとも言えない虚しさがこみ上げた。
そんなある日、ふと目に入ったのが、地元の立憲民主党議員の演説だった。
「介護の現場は限界です。国が本気で支援しなければ、家族が潰れます」
私はふらりと演説の輪に加わった。これまでなら「どうせ口だけ」と一蹴していたはずだった。でも、その議員の話は、自分の経験と重なる部分が多かった。
後日、彼の事務所にメールを送ってみた。「母の介護で困っている」と。すると、驚いたことに、事務所スタッフが電話をかけてきて、地域の制度やNPOを丁寧に紹介してくれた。
「政治って、こんなふうに動いてくれるものだったのか…?」
私は愕然とした。同時に、これまで“信じてきたもの”が、単なるイメージやプロパガンダだったのではないかという疑念が湧いた。
2023年の統一地方選挙の日、私は投票所で悩んでいた。いつもなら自民党の候補者に迷いなく名前を書いていた。でも今回は、心がざわついた。
「このままでいいのか?」
結局、私は初めて、自民党以外の候補者——さきの立憲の議員に票を投じた。
正直に言えば、裏切り者になったような気がして、胸が痛んだ。でも、その一票には、自分の“願い”がこもっていた。もっと声を聞いてほしい。もっと現場を見てほしい。そういう希望だった。
そして、風が変わり始めた。
議員は当選後、地域の高齢者ケア支援の予算確保を訴え、議会で粘り強く提案を続けてくれた。全てが劇的に良くなったわけではない。でも、デイサービスの拡充や、介護者向けの相談会が開催されるようになった。
「野党でも、できることがあるんだな…」
それは、これまで自民党一択だった私にとって、目から鱗だった。
その後も私は、さまざまな議員の話を聞くようになった。政見放送も真剣に見るようになった。与党の実績も、野党の提案も、フラットな目で比べるようになった。
不思議なことに、社会が少しずつ違って見えてきた。声なき声が、耳に届くようになった。
あれから3年。2025年の今、私は「自民党命!」ではなくなった。
もちろん、全ての野党を支持しているわけではない。政策に賛成できないものもあるし、実際に頼りないと感じる議員もいる。でも、“選ぶ”という行為を、ようやく自分の意志でできるようになったと思っている。
「政治は、誰かに任せっきりじゃダメなんだな」
そう気づけたことが、何よりの収穫だった。
かつての私は、「野党=無能」という偏見に縛られていた。でも今は違う。
あの一票が、自分の人生を少し救ってくれたのかもしれない。母と笑顔で過ごせる時間が増えたこと、それは決して偶然ではなかったと思う。
だから、私は今日も言いたい。
「自民党だけが政治じゃない。自分の声を届けてくれる人に、私は投票する」
なのなの
元取締役、元音楽家、元SE、元レトルトカレー評論家、元ゲーム音楽家(SM調教師瞳シリーズなど)
現在は日本の鉄道事故専任ライターをしているなの
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